現代人における俳句や短歌の意義
近日、メディア主導で俳句ブーム到来と言われています。私も、俳句が好きで下手の横好き程度に幼いころからかじっていました。だからよくわかるのですが、案外17文字で歯切れよく、そして季語を入れるという条件下で詩を読むというのは難しいものです。無論、自由律俳句というものも例外として存在していますが…
そして、作っている最中にふと思ったことがあります。
『何故、わざわざ17文字に圧縮する必要があるのか?』
これは、一見間抜けな疑問のように思われますが、この限られた字数に集約した所で、結局誰かの解釈がはいって長文になっているではないかということです。それならば、いっそもとから自由詩を書けばよいのではないかという考えにも帰結します。
しかしながら、この“17文字”に何らかの意味があるからこそ、これほど長い間この文化が継承された来たはずなのです。そこで、私は俳句や短歌を詠んでみる意義を考えてみました。
先ず、記憶に留まりやすいという効果です。私たち日本人にとって俳句や短歌の語調は最早遺伝子レベルで心地良さを覚えます。この形態の詩は決してほかの言語で用いることは容易でありません。私たちが体験したとどめておきたい記憶に対して、あえて17字という制限を設けて圧縮するのです。しばらく後に、これを読み返した時には、他の記憶を連鎖的に呼び起こすこともあるでしょう。
また、他人の作った句であっても、俳句や短歌といった万人共通の詩の形態をとることで、歌に詠まれた個人的な体験も日本人の感性として受け取ることができるのではと思います。更に、その17字から読み手がより創造的な背景を脚色するかもしれません。それは、“詠み手”にとっても、“読み手”にとっても、すこぶる愉快なものではないでしょうか。
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